1985年11月5日、フランス・パリにて正式に国交関係が樹立してから130周年の節目の年です。
そして、今春にブラジル・ルーラ大統領が国賓として来日予定です。

日本とブラジルの深い絆:笠戸丸から現代へ続く200万人の日系人社会と日本への新たな潮流
1908年4月28日、希望を胸に抱いた日本人移民を乗せた移民船・笠戸丸が神戸港を出航。遥かなるブラジルを目指し、インド洋、喜望峰(ケープタウン)を経由し、長い航海の末、同年6月18日にブラジルの玄関口、サントス港に到着しました。この歴史的な出来事は、日本とブラジルの長きにわたる深いつながりの礎となり、現在に至るまで両国関係の重要な原点として語り継がれています。
ブラジルに根を下ろした日本人移民とその子孫は、勤勉さと強い絆で現地社会に貢献し、今日では世界最大となる約200万人の日系人社会を築き上げました。毎年6月18日は、ブラジル日系社会にとって「移民の日」として盛大に祝われ、先人たちの功績を称えるとともに、日系人としてのアイデンティティを再確認する大切な日となっています。
そして現代、この歴史的な繋がりは新たな局面を迎えています。ブラジルで育った日系人の子孫たちが、経済的な機会を求めて日本へ出稼ぎに訪れるケースが増加しています。彼らは、かつて祖父母や曾祖父母が海を渡った国で新たな生活を築き、中には日本に永住し、家族と共に暮らす人々も少なくありません。


教科書には載らないブラジル日系社会の真実:1998-2001年滞在記 – 戦前移民との出会いと魂の記録
1998年から2001年までの3年間、私はブラジルに滞在し、現地の温かい日系社会に深くお世話になりました。その貴重な時間の中で、第二次世界大戦前に海を渡られた多くの日本人移民の方々と直接お会いし、教科書には決して語られない生の声を聞くことができました。
当時すでに高齢となられていた戦前移民の方々から伺ったお話は、まさにタイムスリップしたかのような衝撃でした。異国の地で懸命に生き抜いた彼らの経験、苦労、そして希望は、現代を生きる私たちにとってかけがえのない教訓と感動を与えてくれます。残念ながら、お会いした多くの方々はすでに鬼籍に入られ、直接お話を伺うことはもうできません。だからこそ、私が肌で感じ、耳で聞いた戦前の日系社会の息吹、移民された方々の貴重な証言を、このブログを通じて記録として残したいと強く思っています。
歴史を深く愛し、南米地域を専門に修学した私にとって、そしてスペイン語とポルトガル語を理解する私にとって、彼らの言葉は単なる思い出話ではありませんでした。それは、当時の日本の気質、人々の価値観、そして何よりも人間としての強さを映し出す生きた歴史の証言だったのです。
このブログでは、私がブラジルで見て、聞いて、感じた、教科書には載らない日系社会の真実を、ありのままに綴っていきます。それは、失われつつある戦前移民の記録であり、日本とブラジルの深い絆の証となるでしょう。
南米大陸紀行:3年間のブラジル滞在で見聞した大自然、暮らし、動物 – 近隣諸国への旅の記録を今後ブログで紹介
1998年から2001年までの3年間、私は情熱の国ブラジルに身を置き、その広大な大陸を隅々まで旅しました。息をのむような大自然、そこで息づく人々の温かい暮らし、そして多様な動物たちの姿は、私の心に深く刻まれました。このブログでは、ブラジルでの忘れられない日々を通して見聞した、ありのままの南米の魅力をお届けします。
アマゾンの奥深く、イグアスの滝の壮大なスケール、パンタナールの野生動物たち…写真や文章だけでは伝えきれない、現地の空気感や臨場感を、私の視点を通して鮮やかに描き出します。また、ブラジルの人々と直接触れ合う中で感じた文化や習慣、彼らの明るさや優しさも、余すことなくお伝えしていきます。
さらに、ブラジル滞在中には、近隣の魅力的な国々へも足を運びました。それぞれの国で出会った感動的な風景、文化、そして人々との交流は、私の世界観を大きく広げる貴重な経験となりました。これらの旅の記録も、このブログで共有していきたいと思っています。
スペイン語とポルトガル語を習得していたことは、現地の人々と直接コミュニケーションを取り、より深くその文化や歴史を理解する上で、何よりも大きな財産となりました。言葉の壁がないことで、表面的な観光では決して触れることのできない、人々の飾らない日常や本音に触れることができたのです。
これから、少しずつではありますが、このブログで南米の魅力的な世界をUPしていきます。写真と共に、私の心に残った感動や発見を、臨場感たっぷりに綴っていきますので、ぜひお楽しみに!
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